[相談内容]
時々、時間泥棒に小一時間説教をしてやろうかと思うときがあります。
時間を奪われる会話や、自分の気持ちだけを延々話し続ける人、出口のない会話を繰り返す人に対して、論破したい衝動に駆られる自分がいます。なぜ彼らは他人の時間を奪うのか、どのような目的でコミュニケーションを取っているのか疑問に感じます。この攻撃的な衝動に自己嫌悪を感じることがあります。正当な権利を主張したい一方で、そのような自分に嫌悪感を抱くことについてのアドバイスをいただきたいです。
[和尚の回答]
攻撃的になりたい衝動と、それによって生じる自己嫌悪の間で揺れ動くことは、この中道から外れている状態と言えよう。
人とのコミュニケーションにおいて、相手の言動に対してフラストレーションを感じ、それを論破したいという衝動に駆られることは、人間として自然な反応じゃ。しかし、そのような衝動が自己嫌悪につながることは、心の平穏を乱す原因となりかねん。
仏教では、「中道」の概念が大切にされておる。すなわち、極端な反応を避け、バランスの取れた心の状態を保つことじゃ。攻撃的になりたい衝動と、それによって生じる自己嫌悪の間で揺れ動くことは、この中道から外れている状態と言えよう。
相手の行動を論破したいという衝動が生じたときは、まず深呼吸をして心を落ち着けることから始めよ。そして、相手の言動の背後にあるものを理解しようとする心を持つことが大切じゃ。相手がなぜそのような行動を取るのか、その動機や背景には何があるのかを、冷静に考えることで、自分自身の反応をコントロールすることができるようになる。
また、「慈悲」の心を持つことも重要じゃ。相手に対しても、そして自分自身に対しても、慈悲の心を持つことで、自己嫌悪から解放される道が開かれる。自分が感じるフラストレーションや衝動は、自己成長のための大切なサインであることを理解し、それを受け入れることから始めよ。
正当な権利を主張することと、心の平穏を保つことは、決して相反することではない。相手とのコミュニケーションを通じて、自分と相手の理解を深めることで、より豊かな人間関係を築くことができるのじゃ。自己嫌悪に陥ることなく、自分の感情と向き合い、それを乗り越える力を内に見出すことを願っておる。