部屋を片付けられない人のブログ

自分が行動を起こせない変な壁とプライド

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[相談内容]

自分が行動を起こせないことについて悩んでいます。

過去の経験を通して、自分の中に存在する壁を見つめ直したいと思います。

些細なことが原因で行動に移せず、他人との対話に勇気が出ない自分がいます。

しかし、勇気を出して話し始めれば、時に助けられることもある一方で、自分の心穏やかな環境を荒らされるという経験もしています。

この壁の根源には、プライドが関係しているように思いますが、単にプライドを捨てるのが解決策ではないとも思っている自分がいます。

ちょっと油断するといろいろと押し付けてくる人がいることも悩みの一つです。

この状況をどう乗り越えればよいのでしょうか。

[和尚の回答]

自まず自己受容の重要性を理解することじゃ。自分自身の弱さや不完全さを認め、それを受け入れることができれば、プライドはもはや邪魔をするものではなくなる。

悩みを抱えておるようじゃな。人は誰しも内に壁を持っており、その壁を乗り越えることで初めて成長することができるのじゃ。君が感じている壁、それは確かにプライドかもしれぬ。しかし、仏教では中道の教えがある。すべてのものは極端ではなく、バランスを保つことで調和が生まれるのじゃ。

そなたが自分自身の中の壁について深く考え、そしてその壁を乗り越えるためには何が必要かという問いを持っていることは、すでに大きな一歩を踏み出している証しであるのじゃ。

プライドとは、多くの場合、自尊心や自己の尊厳を守るためのものと考えられるが、時には自分を制限し、成長の機会を遠ざける壁ともなり得る。自分の弱さを認めたくない、失敗を恐れるといった感情は、人として自然なものじゃが、これらが行動を阻害する原因となってはならぬ。

プライドがあることは悪いことではない。それによって自尊心を保ち、自己を尊重することができる。しかし、プライドが高すぎると、他人との関わりを遮ってしまうこともある。だからこそ、プライドを持ちつつも、他人を尊重し、開かれた心で接する中道を見つけることが大切じゃ。

あなたが感じる「プライド」についても、それを全て捨てる必要はない。プライドは自尊心と自己尊重の源じゃ。重要なのは、プライドを持ちつつも、それに囚われ過ぎず、相手を尊重する心を忘れないことじゃ。

仏教では、自我に囚われず、自己と他者との間にある人工的な壁を取り払うことが、苦しみからの解放に繋がると教えておる。プライドが高すぎると、自分の弱さや不完全さを認めることが難しくなり、他者との深い繋がりや協力を得る機会を逃すことになるのじゃ。

君が直面している壁を乗り越えるには、まず自分自身と向き合うことじゃ。自分の感情やプライドを深く理解し、それをコントロールする方法を学ぶのじゃ。次に、他人との対話を恐れず、小さな一歩から始めてみるのも良い。対話を通じて、人とのつながりの価値を再認識し、プライドを適切に管理する術を見つけるのじゃ。

また、他人と話をする勇気を出すことで助力を得られる経験から学ぶことも大切じゃ。これは、人との繋がりがいかに価値あるものであるか、そして協力と支援が成長への道を開くことを示しておる。

プライドを「捨てる」のではなく、プライドを適切に管理し、バランスを取ることが重要じゃ。自尊心を保ちつつも、謙虚さを忘れず、他者と共に成長していくことが、壁を乗り越える鍵となるであろう。

最終的には、自分自身との対話を深め、自己理解を高めることが、内なる壁を乗り越える鍵となるじゃろう。自分の中にある「真の声」を聴くことで、プライドが邪魔をしているのか、それとも他の何かが原因であるのかを見極めることができるのじゃ。

心の壁を乗り越える旅は容易ではないかもしれんが、一歩一歩着実に進んでいくことが大切じゃ。あなたが真の自己とつながり、他者との調和の取れた関係を築くことを、心より願っておる。

和尚 ありがとうございます。

いつでも相談に乗ることを喜びとする、わしですじゃ。
道は一人ではなく、共に歩むもの。
何かあれば、またこの場所でお話ししましょう。
心に平穏がありますように。

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